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2024年9月6日第76次(大分地裁第58次)提訴(原告5名) [提訴情報]

 2024年9月6日、大分地方裁判所に第76次提訴をいたしました。
 提訴概要は次のとおりです。
 その結果、現在の大分弁護団担当の提訴者数は499名(被害者429名)、和解者数は454名(被害者379名)となりました(なお、提訴時の原告に合わせると447名となります。)。
 なお、そのうち大分地方裁判所における提訴者数は396名(被害者341名)、和解者数は352名(被害者292名)となりました(なお、提訴時の原告に合わせると345名となります。)。
1 原告・被害者数
  原 告      5名  
  被害者      5名
2 原告・被害者居住地
  大分県 (原告) 4名(被害者) 4名
    大分県外(原告) 1名(被害者) 1名
3 原告・被害者の性別
  男 性 (原告) 2名(被害者) 2名
  女 性 (原告) 3名(被害者) 3名
4 原告・被害者の年代
  20代 (原告) 0名(被害者) 0名
  30代 (原告) 1名(被害者) 1名
  40代 (原告) 2名(被害者) 2名
  50代 (原告) 2名(被害者) 2名
  60代 (原告) 0名(被害者) 0名
  70代 (原告) 0名(被害者) 0名
    80代 (原告)  0名(被害者)  0名
5 被害者の病態の内訳 
  無症候性キャリア   1名(40代男性)
  慢性肝炎       4名(30代女性、40代女性、50代男性、5 0代女性)
  肝硬変(軽度)    0名
  肝硬変(重度)    0名
  肝がん        0名
  死亡         0名
6 提訴原告コメント
    なし。
                                 以上

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原告番号375番意見陳述(2024年8月23日大分地裁口頭弁論期日) [原告の声]

1 はじめに

原告番号375番です。

  11年前から慢性肝炎で治療を続けています。現在66歳です。

 

2 出産時の感染判明

  私は、高校卒業後、奈良県の和裁の専門学校に通い、国家資格を取得しました。22歳で専門学校を卒業し、その学校の職員として働き始めました。

この頃、夫と知り合い、私が24歳のとき、結婚しました。結婚の翌年の秋頃、第1子を妊娠し、近くの産婦人科に通院しました。

その後、医師からある検査結果が陽性であったことを説明されました。医師は、私から赤ちゃんへの母子感染の可能性があり、赤ちゃんから他の赤ちゃんに感染させる可能性があるので、新生児室ではなく母子同室になります、と言いました。また、出産後に赤ちゃんの検査をするように、と言われました。

この時の検査の紙が母子手帳に残っています。そこにはHBs抗原が陽性と記載され、B型肝炎に感染していることが分かります。しかし、当時は医師から病名を告げられた記憶はなく、また、慢性肝炎や肝硬変、肝癌になる可能性があることなども説明されませんでした。このため、妊娠時にみんな検査する病気の中で何かの感染が判明したという程度の認識でした。

出産後、首が据わるかどうかくらいの生後3か月の長男を、夫と一緒に奈良県立病院に連れて行き、検査しました。

私は重大な病気という認識がなく、あまり心配していませんでした。夫は子煩悩なところがあり、どのような病気かは分からないものの、長男への感染を心配している様子でした。

検査の結果は幸い陰性でした。

その後、私は28歳で次男、30歳で長女を出産しました。このときも妊娠中の検査で陽性となり、出産後、次男と長女を検査しましたが、いずれも陰性でした。

産婦人科の医師から専門医を受診した方が良いとは言われず、その後、私は元気だったので病院には行っていません。

  ただ、人に感染させる可能性があることは認識していました。血液を介して感染させることなどの具体的な知識はなかったものの、新生児室で一緒にいるだけで他の赤ちゃんに感染させる可能性があると聞いていました。このため、自分が飲みかけの飲み物を他人が飲まないようにしたり、大皿料理を取る時は取り箸を使ったり、怪我して出血したときは他の人に触れさせないようにしたり、注意してきました。

 

3 兄がB型肝炎で亡くなったこと

  私には3歳上の兄がいました。兄はもてる人でした。鼻筋が通って男前で、穏やかで優しい性格でした。スポーツができ、料理もでき、縫いものもでき、竹細工もできました。人付き合いも良く、自分の好きなように生きていても、皆がほっておけないような人でした。

その兄が30代でB型慢性肝炎を発症し、入退院を繰り返していました。兄は既に結婚し子どもが2人おり、仕事をかかえていました。当時、私は奈良県にいたため、大分県の兄の様子は直接知りませんでしたが、兄嫁から、兄は入院して肝臓の核に注射を打つ治療をし、注射1本で何万円もかかると聞いたことがあります。B型肝炎で体調が悪くなったため、勤めていた会社を辞めたこともあるそうです。

  兄一家は実家の父母と一緒に暮らしていましたが、兄は45歳の頃、突然大分からいなくなりました。しばらくして名古屋にいること、借金返済に困って居なくなったことが分かりました。その後、兄の家族も名古屋で生活するようになり、借金は父親が返済しましたが、父母と兄一家とは絶縁状態になりました。兄は借金の理由を言いませんでしたが、肝炎の治療にお金がかかったり、思うように働けなくなったためではないかと思います。

  長男である兄がそんな状態になったので、父は私に実家に戻って欲しいと言うようになりました。そこで、私は50歳の頃、家族とともに実家に戻りました。

  そして、私が54歳のとき、兄は57歳でB型肝炎による肝癌で亡くなりました。肝癌が見つかってから半年で亡くなったそうです。兄は嫁の実家にも子どもにも経済的援助を求めていたそうで、ちゃんと治療をしていたのだろうかと思います。

  

4 慢性肝炎の発症

  兄が亡くなった翌年、私は別の病気のために通院しました。

  このときの病院でB型肝炎についても検査することになり、血液検査でウイルス量が多いこと、CTで慢性肝障害があることが分かり、B型慢性肝炎と診断されました。

  その後、大きな病院を紹介され、核酸アナログ製剤治療を開始されました。肝臓専門の先生から、この薬を飲まないと肝硬変、肝癌になり、亡くなる可能性があること、一生飲み続けないといけないことを言われました。

  私はこのとき初めて、自分がB型肝炎に感染していることを認識しました。そして、兄と同じ慢性肝炎になっていることを知りました。ショックでした。私が何でそんな病気になるの、兄と同じように苦しむのか、と落ち込みました。

  重大な病気に感染していることを知って、他人に感染させないかがすごく心配になりました。当初は握手してもうつすのではないかと心配しました。

しばらくして、落ち込んでいても仕方がないから、兄と同じようにならないためにも、ちゃんと治療していこうと思うようにしました。また、知り合いの看護師に握手などでうつるはずないと教えられ、少し安心しました。

 

5 母子感染させずに済んだこと

  私は発症して数か月後、B型慢性肝炎であることを子供3人に話しました。そして、子供3人とも出産後に検査して陰性だったことを伝えました。

  出産した頃は重く考えていませんでしたが、自分が慢性肝炎になった今、振り返ってみると、母子感染しなくて本当に良かったと思いました。もし感染させていたら、子どもに一生重荷を背負わせることになり、私が生んだばっかりにと自分を責めたことでしょう。どのような病気か知らなかったことも運がよかったと思います。重大な病気だと分かっていたら、2人目、3人目は産まなかったかもしれません。

  

6 治療の負担とこれから

慢性肝炎を発症してから現在までの11年間、毎日薬を飲み、半年に1回のエコー、3か月に1回の血液検査を受け続けています。

医師から、飲み忘れると耐性菌ができてしまうと言われているので、忘れずに飲むようにしています。看護師の長女からも電話がある度に、ちゃんと薬を飲んでいるの、と聞かれます。

また、ご飯を食べてから2時間は空けて飲むように、と言われているので、夕食後時間をあけて寝る前に飲んでいます。

親を看取るまで長生きしたいと思っていましたが、今年の春、母を看取りました。夏の初めには2人目を産んだ長女のところへ行き、世話をしました。自宅では夫と二男のために家事をし、和裁の仕事も続けています。私の親族が病気になったり亡くなったりすると、私が世話をしています。夫の親族についても夫の代わりに私が動いています。現在も、熱中症で緊急入院した義理の姉を家に連れて帰り、これから介護認定を受け、施設に入るまでの世話をしています。

母は病院で検査した結果、B型肝炎に感染していなかったので、兄も集団予防接種によって感染したものと思います。

私は兄のようになったらどうしようという思いが強いです。自分が慢性肝炎で動けなくなったり、肝癌で亡くなったら、残された家族が困ります。治療と検査の負担は大きいですが、きちんと続けて、家族のためにも元気で長生きしたいと思っています。


以上


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提訴・和解時の原告コメント一覧 [原告の声]

提訴・和解時の記者会見での原告の方々のコメント(提訴137名,和解130名)を掲載しています。
コメント掲載記事は下記のとおりです。ぜひお読みください。

                記

平成24年8月31日第4次提訴(10名)   原告コメント安森耕一氏
平成24年10月31日第5次提訴(10名)  原告コメント2名
平成25年2月28日第7次提訴(2名)     原告コメント1名
平成25年4月28日第8次提訴(4名)    原告コメント1名
平成25年5月8日和解成立(10名)     原告コメント穴井里司氏ほか1名
平成25年6月17日和解成立(5名)     原告コメント3名
平成25年8月30日第10次提訴(2名)   原告コメント1名
平成25年9月30日和解成立(6名)     原告コメント安森耕一氏ほか2名
平成25年10月31日第11次提訴(2名)  原告コメント1名
平成25年12月9日和解成立(10名)    原告コメント3名
平成25年12月27日第12次提訴(7名)  原告コメント2名
平成26年2月10日和解成立(1名)     原告コメント1名
平成26年2月28日第13次提訴(10名)  原告コメント5名
平成26年4月30日第14次提訴(4名)   原告コメント2名
平成26年5月26日和解成立(2名)       原告コメント2名
平成26年7月1日第15次提訴(10名)   原告コメント5名
平成26年9月1日第16次提訴(7名)    原告コメント4名
平成26年9月8日和解成立(3名)      原告コメント1名
平成26年11月5日第17次提訴(4名)   原告コメント2名
平成26年11月10日和解成立(8名)    原告コメント4名
平成27年1月8日第18次提訴(7名)    原告コメント2名
平成27年1月19日和解成立(10名)    原告コメント6名
平成27年3月13日大分提訴(10名)    原告コメント4名
平成27年3月16日和解成立(8名)     原告コメント5名
平成27年5月7日大分第2次提訴(4名)   原告コメント1名
平成27年5月18日和解成立(7名)     原告コメント3名
平成27年7月1日大分第3次提訴(3名)   原告コメント3名
平成27年7月13日和解成立(10名)    原告コメント4名
平成27年9月1日大分第4次提訴(6名)   原告コメント2名
平成27年9月28日和解成立(4名)     原告コメント4名
平成27年10月30日和解成立(8名)    原告コメント2名
平成27年11月16日和解成立(5名)    原告コメント4名
平成27年11月30日大分第5次提訴(14名)原告コメント3名
平成28年1月15日大分第6次提訴(18名) 原告コメント5名
平成28年1月18日和解成立(3名)     原告コメント1名
平成28年1月22日大分地裁和解成立(3名) 原告コメント3名
平成28年3月2日大分第7次提訴(6名)   原告コメント3名
平成28年3月14日大分地裁和解成立(2名) 原告コメント2名
平成28年5月11日大分第8次提訴(10名) 原告コメント1名
平成28年5月27日大分地裁和解成立(11名)原告コメント4名
平成28年7月1日大分第9次提訴(15名)  原告コメント3名
平成28年7月20日大分地裁和解成立(9名) 原告コメント1名
平成28年9月1日大分第10次提訴(17名)  原告コメント10名
平成28年9月16日大分地裁和解成立(4名) 原告コメント1名
平成28年11月2日大分第11次提訴(10名) 原告コメント6名
平成28年11月21日大分地裁和解成立(9名) 原告コメント3名
平成29年1月13日大分第12次提訴(10名)  原告コメント3名
平成29年1月20日大分地裁和解成立(4名)    原告コメント3名
平成29年3月6日大分第13次提訴(11名) 原告コメント2名
平成29年3月17日大分地裁和解成立(8名) 原告コメント2名
平成29年5月10日大分第14次提訴(10名)原告コメント2名
平成29年5月12日大分地裁和解成立(1名) 原告コメント1名
平成29年7月5日大分第15次提訴(6名)   原告コメント3名 
平成29年7月28日大分地裁和解成立(3名)  原告コメント1名
平成29年9月1日大分第16次提訴(9名)   原告コメント6名
平成29年9月29日大分地裁和解成立(12名) 原告コメント4名
平成29年12月8日大分地裁和解成立(8名)  原告コメント3名
平成30年1月9日大分第18次提訴(6名)   原告コメント3名
平成30年3月1日大分第19次提訴(5名)   原告コメント2名
平成30年4月20日大分地裁和解成立(7名)  原告コメント4名
平成30年5月9日大分第20次提訴(3名)   原告コメント2名
平成30年6月18日大分地裁和解成立(16名) 原告コメント2名
平成30年7月2日大分第21次提訴(6名)   原告コメント3名
平成30年8月24日大分地裁和解成立(13名) 原告コメント6名
平成30年9月5日大分地裁第22次提訴(6名) 原告コメント2名
平成30年10月22日大分地裁和解成立(4名) 原告コメント1名
平成30年11月1日大分地裁第23次提訴(3名) 原告コメント2名
平成30年12月14日大分地裁和解成立(3名) 原告コメント1名
2019年1月11日大分地裁第24次提訴(2名) 原告コメント2名
2019年2月25日大分地裁和解成立(9名)  原告コメント2名
2019年3月6日大分地裁第25次提訴(5名) 原告コメント1名
2019年4月19日大分地裁和解成立(13名) 原告コメント4名
2019年5月10日大分地裁第26次提訴(5名) 原告コメント2名
2019年6月10日大分地裁和解成立(11名) 原告コメント2名
2019年7月1日大分地裁第27次提訴(5名) 原告コメント1名
2019年8月9日大分地裁和解成立(9名)   原告コメント2名
2019年9月2日大分地裁第28次提訴(8名) 原告コメント4名
2019年10月23日大分地裁和解成立(7名) 原告コメント1名
2019年11月1日大分地裁第29次提訴(4名)原告コメント1名
2020年1月17日大分地裁和解成立(7名)  原告コメント2名
2020年3月5日大分地裁第31次提訴(8名) 原告コメント5名
2020年3月23日大分地裁和解成立(4名)  原告コメント1名
2020年5月11日大分地裁第32次提訴(8名)原告コメント2名
2020年5月29日大分地裁和解成立(4名)  原告コメント1名
2020年7月1日大分地裁第33次提訴(8名) 原告コメント3名
2020年7月15日大分地裁和解成立(4名)  原告コメント1名
2020年9月2日大分地裁第34次提訴(4名) 原告コメント3名
2020年10月2日大分地裁和解成立(5名)  原告コメント4名
2020年10月30日大分地裁第35次提訴(5名)原告コメント3名
2020年11月30日大分地裁和解成立(6名) 原告コメント4名
2021年1月13日大分地裁第36次提訴(7名)原告コメント1名
2021年1月29日大分地裁和解成立(7名)  原告コメント2名
2021年2月25日大分地裁第37次提訴(4名)原告コメント1名
2021年3月19日大分地裁和解成立(7名)   原告コメント1名
2021年5月12日大分地裁第38次提訴(10名)原告コメント3名
2021年5月21日大分地裁和解成立(10名) 原告コメント1名
2021年7月2日大分地裁第39次提訴(6名) 原告コメント1名
2021年7月30日大分地裁和解成立(11名) 原告コメント6名
2021年9月1日大分地裁第40次提訴(11名)原告コメント2名
2021年10月1日大分地裁和解成立(7名)  原告コメント3名
2021年11月2日大分地裁第41次提訴(5名)原告コメント3名
2021年11月29日大分地裁和解成立(7名) 原告コメント1名
2022年1月12日大分地裁第42次提訴(15名)原告コメント3名
2022年2月4日大分地裁和解成立(9名)   原告コメント3名
2022年2月28日大分地裁第43次提訴(4名)原告コメント2名
2022年4月8日大分地裁和解成立(1名)   原告コメント1名
2022年5月12日大分地裁第44次提訴(8名)原告コメント2名
2022年6月10日大分地裁和解成立(3名)  原告コメント1名
2022年7月1日大分地裁第45次提訴(4名) 原告コメント1名
2022年8月26日大分地裁和解成立(9名)  原告コメント1名
2022年9月1日大分地裁第46次提訴(5名) 原告コメント3名
2022年10月21日大分地裁和解成立(9名) 原告コメント6名
2022年11月2日大分地裁第47次提訴(4名)原告コメント1名
2022年12月16日大分地裁和解成立(5名) 原告コメント2名
2023年1月13日大分地裁第48次提訴(3名)原告コメント2名
2023年2月10日大分地裁和解成立(1名)  原告コメントなし
2023年3月3日大分地裁第49次提訴(4名) 原告コメント1名
2024年8月23日大分地裁和解成立(6名)  原告コメント2名

以上


2024年8月23日大分地裁和解成立(原告6名) [和解情報]

 2024年8月23日、大分地方裁判所において、大分弁護団担当の原告について和解が成立しました。
 和解の概要は次のとおりです。
 その結果、現在の大分弁護団担当の提訴者数は494名(被害者424名)、和解者数は454名(被害者379名)となりました(なお、提訴時の原告に合わせると447名となります。)。
 なお、そのうち大分地方裁判所における提訴者数は391名(被害者336名)、和解者数は352名(被害者292名)となりました(なお、提訴時の原告に合わせると345名となります。)。
1 原告・被害者数
  原告6名  被害者6名
2 原告・被害者居住地
  大分県  (原告)  4名(被害者)  4名
    大分県外 (原告)  2名(被害者)  2名
3 原告・被害者の性別
  男性   (原告)  5名(被害者)  5名
  女性   (原告)  1名(被害者)  1名
4 原告・被害者の年代
    10代  (原告)  0名(被害者)  0名
  20代  (原告)  0名(被害者)  0名
  30代  (原告)  0名(被害者)  0名
  40代  (原告)  3名(被害者)  3名
  50代  (原告)  1名(被害者)  1名
  60代  (原告)  1名(被害者)  1名
  70代  (原告)  1名(被害者)  1名
    80代  (原告)  0名(被害者)  0名
5 被害者の病態の内訳
  死亡    0名
  肝がん   0名
  肝硬変(軽)0名 
    慢性肝炎  5名(40代男性3名、50代女性1名、60代男性1名)
    キャリア  1名(70代男性1名)
6 和解原告コメント
(1)40代男性(由布市、慢性肝炎)
   和解できて良かったです。相談に乗って頂きました弁護士さん、弁護団、関係者様に本当に感謝しています。正直、今後の人生の不安があります。感染を知ってから、3か月に1回の定期検診で残りの命の時間を確認しています。B型慢性肝炎の影響で、恐らく短い人生になる事を覚悟しています。今後、この様な事が2度と起こらない世界を心よりお祈りしています。
(2)40代男性(神奈川県、慢性肝炎)
   私は10年前にB型肝炎と診断され、一時はかなり病状が悪化しました。入院や様々な治療を受け、現在は核酸アナログ製剤治療により病状は安定しております。しかし、再発の不安に苛まれ、家族や周囲の方を感染させてしまうのではないか、会社の同僚に自分がB型肝炎と判った時拒絶されないか、と毎日怯えながら過ごしています。また、病状悪化した場合、仕事を続けられるのか、家族を守っていけるのか、将来を不安に感じながら日々を過ごしています。
   国には責務として救済を行ってほしいと考えています。
                                 以上

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2024年5月10日大分地裁第56次提訴(原告3名) [和解情報]

 2024年5月10日、第74次提訴(大分地裁としては第56次)をいたしました。
 提訴概要は次のとおりです。
 その結果、現在の大分弁護団担当の提訴者数は492名(被害者422名)、和解者数は441名(被害者366名)となりました(なお、提訴時の原告に合わせると434名となります。)。
 なお、そのうち大分地方裁判所における提訴者数は389名(被害者334名)、和解者数は339名(被害者279名)となりました(なお、提訴時の原告に合わせると332名となります。)。
1 原告・被害者数
  原 告      3名  
  被害者      3名
2 原告・被害者居住地
  大分県 (原告) 3名(被害者) 3名
    大分県外(原告) 0名(被害者) 0名
3 原告・被害者の性別
  男 性 (原告) 2名(被害者) 2名
  女 性 (原告) 1名(被害者) 1名
4 原告・被害者の年代
  20代 (原告) 0名(被害者) 0名
  30代 (原告) 0名(被害者) 0名
  40代 (原告) 0名(被害者) 0名
  50代 (原告) 0名(被害者) 0名
  60代 (原告) 2名(被害者) 2名
  70代 (原告) 1名(被害者) 1名
    80代 (原告)  0名(被害者)  0名
5 被害者の病態の内訳 
  無症候性キャリア   0名
  慢性肝炎       2名(60代男性、60代女性)
  肝硬変(軽度)    0名
  肝硬変(重度)    0名
  肝がん        1名(70代男性)
  死亡         0名
6 提訴原告コメント
(1)60代男性(大分市、慢性肝炎)
   初めてB型肝炎ウイルスに感染していると知らされた時、あまりのショックで目の前が真っ暗になり、病院のベッドにしばらく横になったことが忘れられません。
   感染を知ってからは、自分の病状の進行や家族への感染の心配が頭から離れることはなく、いつ?どこで?なぜ?感染したのだろうかという思いをずっと持って過ごしてきました。
    
   訴訟のことは知っていましたが、中々思い切れずにいたところ、かかりつけの病院の先生から勧めもあり、母親の元気なうちにと思い立ち、弁護士の先生に指導を頂きながら資料集めを始めました。
   訴訟にあたって、早期の和解はもちろんですが、行政や医療の研究機関でB型肝炎に関わる方々には、国の誤った集団予防接種が原因で、幼少期にB型肝炎ウイルスに感染し、体からウイルスを完全に無くすことが出来なくなり、生涯、病状の進行に心と体を痛め、日々の生活をおくらなければならない被害者が全国にたくさんいる事を忘れないで欲しいと思います。
   幼少期に感染したB型肝炎ウイルスは、生涯、体から消えることはないだろうと言われています。もし、ウイルスが体から完全に消失し、完治できるような新薬が開発されれば、この病気で苦しんでいる我々被害者にとって、どんなに明るい希望となるでしょうか?
   そのための研究予算を増加させて、研究が一層前進するようお願いします。
 このことが夢で終わらず、実現する日が訪れることを一日千秋の思いで待ち望んでおります。一人の被害者の小さな声ではありますが、関係者の皆様の心に届いてくれたなら幸いに存じます。
以上

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