原告番号327番意見陳述(2022年6月10日大分地裁口頭弁論期日) [原告の声]
1 はじめに
原告番号327番です。現在、69歳です。令和2年に、肝がんの診断を受けています。
昭和50年に結婚してから、ずっと妻と一緒に暮らしています。
私は、広島の田舎町で生まれ、高校卒業後、一時期東京にいたのですが、知人のつてで、大分で就職しました。25歳の時に、独立して、工場や個人の家で、電気の配線や照明の設置工事などを請け負う電気工事の仕事をするようになりました。
2 慢性肝炎の発覚
B型肝炎に感染していることが分かったのは、私が54歳の時です。体がとてもだるい感じがしたので、病院で検査を受けました。そしたら、肝機能に障害があることが分かりました。医者は、最初は肝硬変を疑っていたようですが、実際には慢性肝炎でした。私は、この時、はじめてB型肝炎という病気のことを知りました。
病気だと聞いても、特に重大なことだとは思いませんでしたどんな病気かも知りませんので、「そんなもんか。」という程度の受け止めでした。妻に検査の結果を教えると、妻は「えー。」と驚いていました。もっとも、特に変わった様子はありませんでした。
ただ、医者から、血液を通じて感染すると言われていたので、怪我をして出血したときには、誰かに血液がかからないように気を付けていました。
その後、大変な日々が始まりました。最低1か月に1回、病院に行って、肝臓の数値を下げるための薬を注射していました。B型肝炎だと分かってから5年間ぐらい、定期的に注射を打ちに通院していました。金銭的にも負担でした。
妻とは、B型肝炎のことでよく話をしていました。お互い「治らないよなあ。」と話しながら、「お金がかかるね。」という話をしていました。ある時期から、医療費の助成制度を利用することができ、助かっていたのですが、それでも、負担は小さくありませんでした。
私としては、お金がかかっても、医者の指示に従って、治療を続けていけば、これ以上、悪くなることはないだろうと思っていました。
3 肝がんになったこと
ところが、13年間も通院したのに、病院の血液検査でALT値が高いと言われ、大きな病院で検査をするように言われました。
そうして改めて検査をしたところ、医者から、「肝臓に腫瘍がある。」と言われました。そして、CTの画像を見せられながら、「この部分は取り除かないと悪い。切除するしか無いです。」と言われました。
それを言われた時は、さすがにショックでした。これまで、定期的に通院して、治療も真面目に受けてきたのに、肝がんに進展するなんて思っていませんでした。しかも、肝がんのステージは2に進展していると言われました。2、3か月に1度くらいは検査していたので、肝がんになるとしても、ステージ1の時に見つかるものと思っていました。
私は、医者に、「こんなに進行早いんですか。」と聞きました。医者は「そうです。」と答えました。すぐに手術を受けることになりました。妻も同じように、肝がんに進展したことに大変ショックを受けていました。
手術では、お腹を34cmも切りました。集中治療室に11日間も入っていて、この間は、切り傷の両端が痛くて、「うんうん。」とうなっていました。お腹には、今でも大きな切り傷が残っています。また、切り傷の下の部分の感覚が鈍くなり、今でもその状態が続いています。
お腹の周りを切ったことや、入院の前後、半年ぐらい仕事を休んでいたこともあり、体を動かすのがきつくなりました。元々、電気工事では体を動かすことが多いので、半年ほど頑張りましたが、このまま仕事を続けていくことが難しく感じました。私は、仕事は好きでした。工事が完了して、照明や工場の電気設備が設置できたところを見ると、達成感を得られていました。だから、もっと仕事をしたかったのが本音です。しかし、結局、仕事をやめることにしました。自分にとっては、辛かったです。
私は、今でも定期的に検査を続けています。何かちょっと不安があると、すぐに別の検査を受けます。仕方がないとはいえ、負担に感じています。この前も、「再発の疑いがある。」と言われ、詳しい検査を受けました。結局、医者からは、「ただの空洞でした。」と言われ、ほっとした反面、検査の度にどこか悪くなっていないか、不安を感じています。
4 おわりに
最近では「あと何年生きられっかな。」と思って過ごしています。妻は、足を悪くしているため、私が先に死んでしまうと、残された妻はどうなるのだろうと心配です。
以上