原告番号328番意見陳述(2023年2月10日大分地裁口頭弁論期日) [原告の声]
1 はじめに
原告番号328番です。現在,46歳です。
大分市内で,妻と二人で暮らしており,B型肝炎ウイルスに起因する慢性肝炎といわれています。
私の母,原告番号17番も,B型肝炎ウイルスに感染していました。母は,平成28年1月22日に,この法廷で意見陳述をしましたが,肝臓にできたがんが身体じゅうに広がり,平成29年5月に亡くなりました。
二人の弟たちも,B型肝炎です。
2 母の病気について
私が,母の病気について初めて知ったのは,高校生の頃でした。私が体調を崩して入院したときでした。献血ができなかったり,怪我をした時に人にうつしてしまうかもしれない病気だと聞かされた記憶があります。その時に私も検査を受けたとか,母と同じ病気を持っているといわれたという記憶はなく,私自身,その後,自分も感染しているとは思いもせずに暮らしました。
3 母のがんと弟の入院,自身の感染判明
平成22年に,母が肝がんになっていることがわかりました。7センチの腫瘍で,そのときはギリギリ切除することができました。しかし,その後,肺や食道のリンパ節に転移し,がんはどんどんと母の身体に広がっていきました。
平成25年の夏,下の弟が突然入院しました。入院自体は数日でしたが,その後,しばらく実家で療養することになったようでした。大ごとだなとは思いましたが,私自身は体調に変化はなく,どうして入院したのかなどは,あまり気に留めていませんでした。
平成27年に入り,母から,B型肝炎訴訟の原告になったことを聞かされました。ちょうどその頃,私も体調が優れないことが多くなっていたことから,母の勧めもあり,年末に母が通っている病院でB型肝炎に感染しているかどうかの検査を受けることにしました。
結果は,私もB型肝炎にかかっていて,慢性肝炎という状態だ,というものでした。血液を介して他人に感染する病気で,献血ができないこと,怪我をしたりして他人が血液に触れると感染することなどの説明を受け,昔,母に聞かされたとおりだと思いました。母と話して,母のがんも,下の弟の入院も,B型肝炎が原因だと聞かされました。母は,自分が子どもたちを病気にしてしまったという意識が強く,この頃はがんの治療を続けていたこともあり,「お母さんのせいですまなかったね」と,言うばかりでした。
4 母の闘病と定期検査
私自身は,平成27年12月に慢性肝炎といわれて以降,3か月毎に検査を受けています。お医者さんからは,肝機能の数値は高いけれど,ウイルスが悪さをしている状況ではないといわれていて,今でも薬をもらったりはしていません。
ただ,母は,私が感染していると分かったころには,既にがんが転移を始めており,手術で副腎を取り,肺やリンパ節に次々と転移するなど,ずっとがんと闘い続けている状況でした。
転移がわかったころ,母に,「最初の肝がんのときに,もう少し早く手術をしていれば,転移しなかったんじゃないのか。」と言ったことがあります。最初のがんの切除の時は,わかってから手術をするまでに少し間があり,その間もがんが大きくなっていったという記憶があったからです。悔しい気持ちから出たことばでしたが,それを聞いた母も,悔しそうな様子でした。
父も,当時は仕事をしていましたが,母の看病のために仕事をセーブしたりするようになり,思いどおりに働けないということで,苦しさを感じていたようです。父は,そういう思いを母に伝えることはなかったようですが,父の様子を見た母も,申し訳なさそうな,辛そうな顔をしていました。
母が亡くなる直前は,私が母を病院に連れて行き,そのまま,病院に私も泊まり込んで最後の入院生活に付き添いました。その時はもう,会話もできない状態でしたが,仕草で水を飲ませて欲しいといったり,何とか必死に生きようとしていました。
亡くなるときは,父,子どもたち,孫,きょうだい,姪など,家族みんなに囲まれていました。息を引き取る直前,呼吸が小刻みで苦しそうにしているとき,私が「もう頑張らんでいいよ」と声をかけました。その瞬間,すべてから解放されてほっとしたような,とても穏やかな表情になって,母は息を引き取りました。
5 家族と,これからのこと
現在の妻とは,母が亡くなる前の年の冬に結婚しました。頑張っている母を安心させたいというのが,結婚の理由の一つにあったこともあり,妻には,母の病気のことも,私の病気のことも,伝えています。
妻からは,「それはうつるの?」と聞かれ,うつる可能性はある,と伝えました。それから,妻は健康診断で肝炎の検査をするようになりました。余計な心配をさせてしまっているな,と申し訳なく思います。妻は,病気のことを伝えてからは,毎日の昼食にお弁当を作ってくれるなど,日頃の食事の管理に気を付けてくれるようになりました。
私自身は,今はまだ,病状は安定しているといわれています。けれども,母のように,いつか突然がんと言われるのではないか,母のときのように,一度がんになったらとても治療が追い付かないスピードでがんが身体じゅうに広がってしまうのではないか,不安な気持ちがいつもどこかにあります。
つい先日,前の妻との間の娘が,成人式を迎えました。冗談めかして,娘から,「来年,私が結婚したらどうする?」と聞かれました。反対はしないけれど,孫が見られるなら見たいな,と答えました。しかし,いつ母のように突然がんになって,子どもたちの成長を見られなくなるともしれません。気を付けたほうがいいよな,とは思いますが,気を付けると言っても,何を気を付ければいいのかも,わかりません。
前の妻との間の二人の子どもたちには,余計な心配をかけたくないという思いから,病気のことはこれまで伝えられていません。
今はまだ,献血ができなかったり,怪我をして出血した時に注意を払えばよいだけかもしれませんが,いつか,自分にもがんができるのではないか。それを考えると,いいようのない不安が頭をよぎります。検査のたびに,何も指摘されなければいいな,と不安ですし,がんにならないための生活はどうしたらいいのか,教えてほしいです。
弟たちとは,母が亡くなったことをきっかけに,お互いの病気のことを少しずつ,話すようになりました。進行状況だとか,薬を飲んでいるかなど。つい先日,下の弟がコロナにかかったとき,ちょうど肝炎の薬が切れてしまい,弟の家族も動けなかったことから,私が薬を代わりに貰いに行って,届けたりしました。
6 最後に
B型肝炎ウイルスへの感染がなければ,母は65歳という若さで亡くなることはなかったと思います。また,私たち子どもたちも,苦しい思いや,不安な気持ちを抱える必要もなかったでしょう。
「こんな思いをするのは,私だけで十分です」と,母はこの法廷で述べました。
私も,同じ思いです。
以 上